Cooperative Research In Mystery & Entertainment
探偵小説研究会
「CRITICA」第9号 目次


探偵小説研究会編著「CRITICA」第9号
 (2014年 8月発行、A5版、表紙カラー)



目次

序文

特集――G・K・チェスタトン生誕140年
理性、科学、奇跡――ブラウン神父の信じなかったもの川井賢二
妄説十二ペア市川尚吾
『ブラウン神父の無心』を読んで横井 司

現代本格の周辺
目覚めのための子守歌――〝伊藤計劃以後〟として読む米澤穂信小田牧央
『ハサミ男』小論――ハサミ男と男と女佳多山大地
 『容疑者Xの献身』再説──インドで考えたこと、江戸歌舞伎の「泣かせ」の腑分け 波多野 健 
「推理小説の論理」をめぐって――『探偵小説の論理学』批判(その2) 巽 昌章 

解放区
原作と映像の交叉光線・出張版/密室とパズル――『鍵のかかった部屋』千街晶之
「没後20年 中井英夫展」について濤岡寿子
 「連城三紀彦さんを偲ぶ会」レポート  横井 司
 山口剛・小鷹信光氏インタビュー  聞き手・構成/若林踏

執筆者後記



「CRITICA」第9号 序文

 『CRITICA』9号をお届けする。

 今回の特集は〈G・K・チェスタトン生誕140年〉。第7号の〈ディクスン・カー歿後35周年〉よりは、キリがいい方だろう。ブラウン神父シリーズ第2作『ブラウン神父の知恵』(1914)を起点にすれば、その刊行100周年でもある。

 江戸川乱歩はかつて「深夜、純粋な気持になつて、探偵小説史上最も優れた作家は誰かと考えて見ると、私にはポーとチェスタートンの姿が浮かんでくる」と書いた(『海外探偵小説作家と作品』早川書房、57)。一方、アメリカの文学研究者ハワード・ヘイクラフトは「しばしば、ぜんぜん探偵小説になっていない小説を書きながら、諸探偵中でもっとも有名かつ愛される人物を生みだすことに、皮肉な喜びをもったことだろう」(『娯楽としての殺人』41。引用は林峻一郎訳、国書刊行会、92から)と書いている。「しばしば、ぜんぜん探偵小説になっていない」というフレーズには驚かされるが、ヘイクラフト的には、ブラウン神父の直感的すぎる点が欠点だと映ったらしく、「本能ではなく逆に推理こそ、すべての納得のゆく犯罪捜査の根本」だと書いていることから、「探偵小説になっていない小説」という表現にこめられた意識が垣間見えるだろう。そのヘイクラフトも「形而上的な探偵小説を完成した」ことが、チェスタトンの重要な貢献だと書いているが、チェスタトンの「『思想』のトリック、『哲学乃至神学』のトリック」や「形而上的手品」に感動している乱歩よりも、冷めているという印象を受ける。

 由良君美はヘイクラフトの評言を引いて「G・K・C、あなたは推理小説史家にとっては、しばしば当惑の的になるようですね」といわせているが(「G. K. C. MY DEAR」『『ブラウン神父』ブック』春秋社、86)、由良のこの文章を読んで、ヘイクラフトがそんなことを書いていたのかと、今さらながら驚かされたことがあった。わが国は、ことチェスタトンのミステリに関しては、乱歩のような先駆者がいたおかげで、当惑することもなく楽しめてきたわけだ。

 かといって、乱歩の評言がベストかといえば、疑問なしとしない。乱歩のいう「『思想』のトリック、『哲学乃至神学』のトリック」や「形而上的手品」という評言は、厳しいことをいえば、何もいっていないに等しい。2012年12月に、ちくま文庫から、南條竹則・坂本あおいによる、ブラウン神父シリーズ第1作 The Innocence of Father Brown の新訳が出たことでもあり(邦題『ブラウン神父の無心』)、今一度ブラウン神父シリーズを今の視点から捉え直してみようというのが、今回の特集の隠れテーマである。

 特集を謳っているわりには、論文の本数は少ないが、熟読いただき、現代の視点からの、ミステリとしてのブラウン神父シリーズの魅力が伝われば、幸いである。

 論文数では圧倒的にまさる〈現代本格の周辺〉だが、積み残しの問題の検討が目立ったこともあり、第2特集とさせていただいた。

 なお、あえて追悼特集の形はとらなかったが、〈現代本格の周辺〉の寄せられた佳多山大地の殊能将之論と、〈解放区〉に寄せられた横井司の「連城三紀彦さんを偲ぶ会」のレポートは、いずれも2013年、惜しまれつつ亡くなった著者たちへの餞に他ならない。また、濤岡寿子のレポートは中井英夫歿後20周年の記念展示のレポート、今回、『ハヤカワミステリマガジン』でレビューを担当されている若林踏さんから特別寄稿をいただいたが、こちらは松田優作の歿後25周年にあたることを踏まえたものであった。いくらミステリが「死」を扱うからといって、いささか多すぎる気がしないではないが、そういうめぐり合わせというものであろうか。

 だが、「死者」との対話こそが、伝統を再確認させ、次の時代へと、それをしっかりとつないでいく営みであるといえよう。グローバル化といいながら実質的にはアメリカ化でしかなく、経済成長ばかりが優先される昨今のこの国において、ミステリの伝統を考えることに何がしかの意味が見出せるか否か。本冊子がそれを考えるよすがとなればと思う。

(原文で傍点の箇所は太字とした)


■探偵小説研究会ホームページ

Copyright(C)-2006 Cooperative Research In Mystery & Entertainment. All right reserved