◆「CRITICA」第7号 目次◆
探偵小説研究会編著「CRITICA」第7号 (2012年 8月発行、A5版、表紙カラー)
目次
第一特集――現代本格の状況
推理が探偵を殺す(試供版※別サイトが開きます) | 小田牧央 |
レトリックと真実の振り子 | 千街晶之 |
読心術と「日常の謎」派 米澤穂信『氷菓』アニメ化を起点に | 川井賢二 |
松尾由美の都市を読む | 濤岡寿子 |
第二特集――ジョン・ディクスン・カー歿後35周年
カー・空間・奇談 | 巽昌章 |
一番『連続殺人事件』&四番『囁く影』 | 市川尚吾 |
震えない男、貴婦人として死す――あるいは『幽霊屋敷』復権のために | 横井司 |
解放区
佐々木譲・著『廃墟に乞う』の文庫解説に事実誤認があったことについて | 佳多山大地 |
都筑道夫クロニクル | 法月綸太郎 |
本名W・H・ライト――バーをこえられなかった男 | 鷹城宏 |
インド・ミステリ通史の試み――探偵小説の受容と変容、二重構造の発生 | 波多野健 |
根津甚八俳優史 その一 |
中辻理夫 |
◆「CRITICA」第7号 序文◆
『CRITICA』第七号をお届けする。
本書を継続的に読まれている熱心な読者の中には、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、『CRITICA』では特集を二部立てにしている。そしてそのひとつを「現代本格の状況」とし、もうひとつを国内のトピックスを特集とするか、海外ミステリの特集に振り分けるようにしている。
その、もうひとつの特集は、今回は海外ミステリの回にあたり、「ジョン・ディクスン・カー歿後35周年」特集と相成った。歿後35周年というのは、何となく切りが悪い印象ではあるけれども、第三号の、クラシック・ミステリの総括特集を除き、エラリー・クイーン(第一号)、アガサ・クリスティー(第五号)とくれば、日本のミステリに影響を与えたディクスン・カーを外すわけにはいかない。
ディクスン・カーというのは不思議な作家で、戦後、江戸川乱歩の肝いりで紹介が始まって以来、読める時には充分な評価を受けず、後の世代が読みたい時には読めないという状況の繰返しであった。現在は、松田道弘の先駆的な仕事もあり、大部の伝記が邦訳されたりもしているわけだが、それでも市川尚吾の論考にもあるように、いまだに似たような状況が続いているのは、不思議なくらいである。『三つの棺』や『ユダの窓』が簡単に手に入らない一方で、『蝋人形館の殺人』が新訳されるような状況を考え合わせるなら、今、切りが悪いながらもディクスン・カーの特集を組むことは、充分意義のあることであるように思われる(『蝋人形館の殺人』の新訳刊行が意味がないといっているわけではない。念のため)。
こうした過去の大家の特集は、第一特集である「現代本格の状況」とは無縁に見えるかもしれないが、実はそうでもない。取り上げる論者が現代の、今を生きる人間である以上、時代精神から乖離した論考などあり得ない。カーの中でもマイナー作を取り上げている横井司の論考は、叙述トリックの問題圏域に関わらざるを得ないし、包括的なカー論ともいえる巽昌章の論考にしても、従来の演出論とは違う視点を提示していて、これまでのカー論がいかに技術論に偏向していたことに改めて気づかせてくれるだろう。
もちろん、これまでのカー論、という認識自体が、すでに共通認識たり得ないのかもしれないが、本号の各論考によって、従来そういうものがあり、現在そういうものがどう受容され、どう考えられているかの一端を、示し得ているのではないかと自負するものである。
そもそも評論なり論考なりというのは、先行研究なくしては成り立たないものなのであり、そういう先行研究を踏まえた新しい論考の提示によって、不断に作家や作品、ジャンルのイメージを変えていくことこそ、評論の役割だろう。単に作家や作品の好き嫌いや出来の良し悪しをいうことが評論の役割ではない。
現代の最先端の状況に関しては、今、ここで書かれる論考が、後の新しい論考を生む「先行研究」である。第一特集である「現代本格の状況」に寄せられた論考は、作品ないし作品世界論、状況論など、さまざまであるけれども、定点観測であると同時に、未来においてさらなる議論の起点となる論考でもある。これらの論考は時代精神を映し出す。だからこそ、スリリングである。のちに批判され覆されるかもしれないが、そうした批判も含めた運動が、運動の継続が、ジャンルの活性化につながり、ジャンルを牽引していくだろう。それが、『CRITICA』を発行し続けることの意味なのである。
いつものとおり「解放区」には特集に縛られない原稿が集められているが、各々の思考/志向/嗜好の赴くままとはいえ、やはり時代精神からは自由ではあり得ない。各々が自らに問うべきだと考えたこと、論ずべきだと考えたことは、時代精神のネットワーク上に位置づけられる。つまりは『CRITICA』というメディア自体が、時代精神の結節点であり、この小さなメディアの中ですら、相互に分ちがたいつながりが見出せる。
その「つながり」が何かを(あるいは「つながり」などないことを)見出すことは、読者一人一人の作業に任せたい。それを見出すこと(見出さないこと)が、新たな次のステップにつながることを信ずるものである。
■探偵小説研究会ホームページ
Copyright(C)-2006 Cooperative Research In Mystery & Entertainment.
All right reserved |